遠坂 凛:type 2w3にいただいたコメントへ、
9/29のコメント返信で答え忘れていたことを。
基本的に実証するにはまだまだサンプル不足なので
ほとんど想像の範疇になりますが。
漫画キャラのタイプの一貫性が保たれている、と考える根拠の
一つは、作者・作品によって登場人物のタイプの登場頻度に
明確な偏りがあることです。これはキャラ数とかいう問題に限らず、
登場する場面や役割といったことに関して特に強く感じています。
例えばサンデー連載漫画の中で恐らく最も顕著なのが
(ちゃんと判別はしていないが)「戦コレ!」で、パッと見た感じ
主人公以外全員7と思われます。(主人公は2かなぁ)
ネギま!では1と6が不在、ハヤテのごとく!では4と6不在以外に
実は今のところ5と9の男性がいなかったり1が二人のみだったり、
(アテネと野々原)やられ役がほとんど7だったりとかしています。
場面に関してはナルトでシノ(5)の使い方が恐らくそれにあたり、
ネギま!で2のキャラがほとんど「普段は目立たず時々目立つ」、
ハヤテではキャラが多いところで8が見切れていることが多い、
神のみで目立つ母親キャラがほとんど2だったり、とか。
何故こういうことが起きるのか、と言えば考えられることは
作者にとって自分のタイプ以外にも、「こういうキャラ」という
使えるモデルが何パターンかあるせいではないかと思います。
こういう時にこういうことをするキャラ、というものが今まで見てきた
前例としての作品にあり、その振る舞いをある程度再現できる、と。
それが完全再現とはいかず作者によって「似たような振る舞いもする」
タイプに収れんされてしまう、という感じではないかと思います。
そういう風にしてキャラの振る舞いの幅は狭まる一方で
タイプの一貫性は保たれる感じになるのでは、と。
尤も男塾などのように敵の時と味方になった後でタイプが違いそうな
例もありますが、その時も「敵の時」と「味方の時」を別々に見れば
それぞれのタイプの一貫性は保たれている感じもします。
そういうものも調べてみないと確実なことは言えませんが・・・